不登校について
夜中に突然書きたくなってしまったので、小学校から中学校まで不登校だった経験を少し書きたいと思います
まだブログの書き方に慣れていないので読み辛いかと思いますが、気が向いたら読んでください。
発症という言い方はおかしいとは思いますが、不登校になったきっかけはおそらく、小学2、3年生の頃だったと思います。
当時、身体が弱かったのか肺炎にかかってしまい、2週間ほど入院をするという経験を7歳の頃にしました
家族や学校から離れて、2週間病院で過ごすという経験は、当時の俺には新鮮でした。
退院してからも、学校を早退して病院へ検査行くような日々が続き、気がつくと学校を休むようになりました。
とくに誰かと気まずくなったとか、イジメられたとかではなく、長く休んだためみんなに付いて行けなかったのが原因かなぁと、今は思います。
明確な理由がないと言えばなかったのがややこしいところでした
小学校時代は、担任が毎晩家に来て少し話をしてくれたり、学年が上がって先生が変わると、今度は夜学校へ行くようになりました。
2年生までの先生は家庭訪問、3、4年生の先生は夜学校へ行って話す
みたいな感じでした
5、6年生の時の担任が厳しい先生で、かなり怖かった覚えがあります 笑
それでも少しづつ、学校へ行くようにはしていたんですが、6年生になったある日、5年生の時の校長先生が退任された後、中間教室なるものを開いたと家に連絡がありました
当時の名称は「児童相談所」
6年生でそこの第1号児童になりました
少し広めの部屋に、大きな卓球台がドンと置いてあったのが印象的でした
相談所の先生は、元校長の先生を含め3人でした
よく先生たちと卓球をしていたのがいい想い出です
相談所の話はまた別で書こうかな
中学に上がった頃、1学期だけはなんとか普通に過ごすまでに成長していました
おそらく、相談所での勉強や経験の成果だと思ってます
ですが、夏休みが終わる頃、また学校へ行きづらくなってしまい、相談所へ後戻り
たしか、半年間くらいは相談所暮らしでした
中学2年生になると、学校にも相談室なるものがあって、教室へ行けない生徒はそこで過ごしたり、行きづらい生徒の相談に乗ってくれる先生がいる教室がありました。
当時、赴任したばかりの若い先生で、だいぶ弱々しかった印象がありました
その相談室で、1年教室へ行けない生徒達と過ごすことになります
ここまでかなりかいつまんで書いてしまったので、タイトルを分けてまた書きたいと思います。
おわり