不登校について 保健室登校編

少し間が空いてしまいましたが、続き書きます

 

 

中学3年生になると、2年の頃から通っていた数学研究室(略して数研)と保健室とを行ったり来たりするようになりました。保健室には当時、保育園からの幼馴染であるM♀と1つ下のY♂、2つ下の少年(あだ名だったから本名は覚えていない…)同学年のF♂がいて、彼らとも仲良くなりました。

 

保健室には、時々国語の若い先生が様子を見に来てくれていました

ちょっと勉強っぽい事を俺らにやらせてくれていました

その先生とは別に、カウンセラー的なおばちゃん先生もよく来ていました

きっと、国語の先生同様俺らを気にかけてくれていた先生の1人だったと思います

俺らが教室へ戻れるように苦労してくださったのだと、今になって感じます

 

 

受験生だった俺は、志望する高校も決まっていたので時々授業に出られるようには成長していました

彼らの中でも、俺だけ優秀だったんじゃないかと当時は思っていました

志望校は、相談所時代のK君が通っている高校でした

不登校生でも受け入れてくれる学校だと知っていたので、そこしか受けなかった覚えがあります

というか、他の学校に興味がなかった

 

相談所編はこちらから

不登校について 児童相談所編 - あきの夜咄

 

その高校の試験は2種類あって、作文面接枠と一般試験枠がありました

ほとんど授業に出ていなかったので、作文面接枠の方で受験をする予定でした

ところが、作文枠を受けるには登校日数の制限などがあり、俺の登校日数は作文枠を受けるには日数が足りすぎているほど学校に通っていたそうです

というのも、詳しい日数は覚えていませんが、登校日数〜日以下の生徒が受ける権利がありました

実は相談所というところ(学校の外にある施設)は、そこへ通うだけで登校日数を稼げるようなシステムになっていたようで、そこへ通っていた日数も含めると、試験を受ける条件に当てはまらないということが発覚し、最終的には一般枠で受けるしかありませんでした

 

一般枠の試験は、主に数学、国語、英語の3教科と面接だけでした

3教科なら間に合うかと思って、夏以降授業にも少しずつ参加したり、おばちゃん先生の紹介で英語の先生に個人指導を学校内で受けたりしてなんとか勉強して試験に臨みました

 

 

 

 

結果は見事合格!無事、不登校出身だけど高校デビューできました!

 

 

 

少し戻るけど、保健室時代は他の生徒も来るであろう保健室で何をしていたかというと

 

 

 

 

遊んでました 笑

 

他の生徒が授業中に俺らはUNOやったりトランプやったり

学校の1階だけを使って隠れんぼとか

しかも授業中 笑

 

普通の人から見たらそれはもう不良生徒だったでしょうね

 

ただ、俺らには不良という自覚はなく

教室へ行きたくないから好きな事してようぜ

って感覚だったと思います

 

それも、保健室という癒しの空間(?)で過ごしていたせいだったかもしれません

 

たまーに、空き教室を使って国語の先生と何かやっていたような記憶があります

授業というより、もっと簡単な、小学校低学年くらいの子が受けるようなレクリエーション的な

そんなものとか、パソコン室なんてものもあったので、パソコンをいじったりしていたと思います

 

 

 

そんな自由な思春期を過ごし、すっかり何かに縛られる生き方はできない人間になりました 笑

 

 

 

ここまでが、不登校時代だった幼少期でした

学生時代は本当に苦労した記憶が大きいです

学校へ通わなくてはならないという呪縛に苛まれ、世間の常識と自分の心との戦いで

葛藤が続く毎日を過ごしていました

 

 

不登校は不幸じゃない ってタグのおかげで書き始めた話だけど、この書き方は不幸かな 笑

 

 

まとめは次で書きたいと思います

 

 

 

次回、不登校経験は不幸な事ばかりでもない