不登校経験は不幸なことばかりでもない
まとめについて書こうと前回の記事を書いてからだいぶ間があいてしまいました
それでは、不登校経験を経てどういう心境の変化があったか、全く後悔していない理由について等書きたいと思います。
まず、大人になった今思うことは、不登校経験者も問題なく学生生活を終了した人も
見た目ではわからないということ、不登校だったからといって社会生活になんの問題もないこと
不登校経験者は同じ不登校経験者を引き寄せるということ
学生生活を普通に終了した人も、何かしらトラウマや心に闇を持っているもんだということ
などがあげられます
一概に差別化はできないし、これも一個性として見れるんだと思います
普通に学校へ通えなくなってしまった事は、悪いことなんだと、子供の頃は思っていたし、克服しなければならない問題だとも思っていました
でも、環境に恵まれたおかげで普通に通わなくてもなんとかなってました
不登校を経験して大人になった今は、学校へ行かない選択をしただけであって、過去に悪い事をしたわけではないし、普通の人とは違うルートを通って大人になっただけなので、これも俺の個性の1つなんだと思うようになったし、こうして経験した事を晒せるくらいには昇華できているのだと思います。
学生時代は辛い事も多かったけど、そのおかげでポジティブに考えようとする力が付いたし、現状を違う視点で見る事が出来るようにもなったんだと思います。
こうして見ると、不登校というルートをたどってきたお陰で得られたモノもたくさんあるんだと感じます
人と同じ道を歩む必要は全くないし、どもルートを選ぶかは自由なんだと思います
なので、不登校を経験して後悔したことはありません
だって、同じルートを通って来た人と出会う事もできたし
このルートを辿らなかったら出会えませんでしたから
#不登校は不幸じゃない
というタグには、様々なメッセージ動画があがっていました
そのメッセージの大半は、通いたくなかったら通わなくていい、逃げてもいい
みたいな内容が多くあったと思います
確かに、学校へ通いたくない子供には、この肯定的な言葉は優しく包み込んでくれるような力がありそうな気がしました
これは、別の選択をすることで得られるモノもあるよと
伝えているのかもしれませんね
不登校について 保健室登校編
少し間が空いてしまいましたが、続き書きます
中学3年生になると、2年の頃から通っていた数学研究室(略して数研)と保健室とを行ったり来たりするようになりました。保健室には当時、保育園からの幼馴染であるM♀と1つ下のY♂、2つ下の少年(あだ名だったから本名は覚えていない…)同学年のF♂がいて、彼らとも仲良くなりました。
保健室には、時々国語の若い先生が様子を見に来てくれていました
ちょっと勉強っぽい事を俺らにやらせてくれていました
その先生とは別に、カウンセラー的なおばちゃん先生もよく来ていました
きっと、国語の先生同様俺らを気にかけてくれていた先生の1人だったと思います
俺らが教室へ戻れるように苦労してくださったのだと、今になって感じます
受験生だった俺は、志望する高校も決まっていたので時々授業に出られるようには成長していました
彼らの中でも、俺だけ優秀だったんじゃないかと当時は思っていました
志望校は、相談所時代のK君が通っている高校でした
不登校生でも受け入れてくれる学校だと知っていたので、そこしか受けなかった覚えがあります
というか、他の学校に興味がなかった
相談所編はこちらから
その高校の試験は2種類あって、作文面接枠と一般試験枠がありました
ほとんど授業に出ていなかったので、作文面接枠の方で受験をする予定でした
ところが、作文枠を受けるには登校日数の制限などがあり、俺の登校日数は作文枠を受けるには日数が足りすぎているほど学校に通っていたそうです
というのも、詳しい日数は覚えていませんが、登校日数〜日以下の生徒が受ける権利がありました
実は相談所というところ(学校の外にある施設)は、そこへ通うだけで登校日数を稼げるようなシステムになっていたようで、そこへ通っていた日数も含めると、試験を受ける条件に当てはまらないということが発覚し、最終的には一般枠で受けるしかありませんでした
一般枠の試験は、主に数学、国語、英語の3教科と面接だけでした
3教科なら間に合うかと思って、夏以降授業にも少しずつ参加したり、おばちゃん先生の紹介で英語の先生に個人指導を学校内で受けたりしてなんとか勉強して試験に臨みました
結果は見事合格!無事、不登校出身だけど高校デビューできました!
少し戻るけど、保健室時代は他の生徒も来るであろう保健室で何をしていたかというと
遊んでました 笑
他の生徒が授業中に俺らはUNOやったりトランプやったり
学校の1階だけを使って隠れんぼとか
しかも授業中 笑
普通の人から見たらそれはもう不良生徒だったでしょうね
ただ、俺らには不良という自覚はなく
教室へ行きたくないから好きな事してようぜ
って感覚だったと思います
それも、保健室という癒しの空間(?)で過ごしていたせいだったかもしれません
たまーに、空き教室を使って国語の先生と何かやっていたような記憶があります
授業というより、もっと簡単な、小学校低学年くらいの子が受けるようなレクリエーション的な
そんなものとか、パソコン室なんてものもあったので、パソコンをいじったりしていたと思います
そんな自由な思春期を過ごし、すっかり何かに縛られる生き方はできない人間になりました 笑
ここまでが、不登校時代だった幼少期でした
学生時代は本当に苦労した記憶が大きいです
学校へ通わなくてはならないという呪縛に苛まれ、世間の常識と自分の心との戦いで
葛藤が続く毎日を過ごしていました
#不登校は不幸じゃない ってタグのおかげで書き始めた話だけど、この書き方は不幸かな 笑
まとめは次で書きたいと思います
次回、不登校経験は不幸な事ばかりでもない
不登校について 相談室での初恋
今回は中学2年生になった頃の話を書きたいと思います
相談所を卒業した頃には、相談所で一緒だったK君M君は高校に入学したので、2年生で担任が変わったこともあり相談室という教室があると聞いて、入学式初日にからそこへ行ってみました
初日の朝真っ直ぐに相談室へ向かい、式が行われている間はそこで待機していました。
先生たちも俺がそこにいることを知らなかったのか、半日だれも来なくてめちゃめちゃ暇だった記憶があります
1時間に1回くらい、当時相談室通いの生徒達がちらちら顔を出していました
彼らとはその1年、友達になる事になります
同い年のS君とはよく話すようになりました
彼は不良系の子で、悪いことは影響されれました 笑
1つ上の先輩で2人女の子も相談室に来たり、隣の部屋だった保健室へ通ったりしていました
彼女の1人は、相談所で出会ったI君とは家が隣同士で顔見知りだったそうです
通っていた中学校には、相談室通いと保健師室通いみたいなローカルルールがありました
保健室にも何人か生徒がいましたが、2年生の頃交流はありませんでした
何ヶ月か経った頃、1年生の女の子が相談室へ入って来ました
ちょっと暗い雰囲気のある、ロングヘアーの可愛い子でした
話すととても明るく、物事をはっきりと言う子でした
毎日一緒に過ごしていたので、気が付いたら好きになっていました
本気で好きになったのはおそらくこの頃だったと思うので、初恋ってやつでしょう
S君とは誰が好きとかどのクラスのあの子が可愛いとかそんな話をよくしていたので、おのずと彼にもバレることになるのですが
思春期にありがちの、告っちゃえよ〜なノリに流され、初めて女の子に「好き」の気持ちを告白しました
あれは、ある放課後のこと
彼女のお迎えを待っている間、なんと相談室で2人きりに!
実はこの日、お節介なS君は俺に好きな人がいると彼女に俺の前で言ってくれました
S君が言ってくれたから、放課後に告白できたのかもしれません
好きな人が誰か、彼女も気になっていたので、告白はあっという間でした
好きな人はお前だよ
って告白しました
彼女には冗談でしょ?とあっさりフラれました 笑
フラれた後は、あまりにもショックで再び不登校に
当時は自分でもどうしてこんなに落ち込んでるのかわからず、というよりフラれて落ち込んだのを認めたくなかったのかもしれません
しばらく休んだ後、心配した担任の先生に、先生の部屋で過ごさないかと誘われました
先生の部屋は、数学研究室といって同じ数学科の先生が過ごす部屋でした(担任は数学の先生)
3学期頃からはほとんどその部屋で過ごしました
そんな青春を過ごした2年生
あっという間に3年生になります
次回、相談室が気まずすぎて保健室登校編
朝から優雅に
お題スロットを回してみました
今日は所用で朝から出かけています
用事の内容は書こうか迷いましたが、書きます 笑
妊娠中の妹を病院へ連れて行くという任務のため、朝から出かけています
旦那さんが日勤と夜勤の交代制の職場なので、朝の時間はどうしてもということで
任務を引き受けているわけです
ということで、お題スロットを2、3回まわした結果
上のとおりコーヒーとなりました
現在どこで書いているかというと・・・
これ、ブログを公開したら投稿した画像が最初に出るんですよね
YouTuberで言うところの、サムネイルとタイトル通りってやつですねw
何年かぶりにコメダ珈琲に来ていて、スロットを回したらこのお題ですよ
最高のタイミングw
昔は珈琲に凝った事もありまして、小さい中古のエスプレッソマシンなんかを弄ったりしたこともあります
確かこれの中古だった
だがあえて新品のリンクを貼ってみる
ふつうの珈琲も落とせて、エスプレッソも淹れられるやつ
エスプレッソってクソ苦いけど、砂糖を入れたときに珈琲の泡にしばらく砂糖がとどまってゆっくりと珈琲の中に落ちてゆく・・・そうなると良いエスプレッソが淹れられた
となるというのがありました
なんて言ったかは忘れました
ググったら「クレマ」というらしいです
これが中々難しくて、ダンパーに詰める粉の量とか、ダンパーに入れた時の圧力とかでかなり変わってくるんですよ
もうほとんど覚えていませんが、半日使って淹れまくってもうまく淹れられたかどうか。。。って感じでした
珈琲の淹れ方も実は色々あって、オーソドックスな「ドリップ」、フラスコみたいな容器を直接火で温めて蒸溜するような淹れ方をする「サイフォン」
専用のポットを使って、淹れる「プレス」
イタリア式エスプレッソ「マキネッタ」
等々…
このように淹れ方は多岐にわたります
俺が一番好きだったのはサイフォン式で淹れた珈琲でした
その当時付き合っていた彼女のバイト先だったカフェで淹れていた珈琲でした・・・
珈琲だけに、まさに「苦い想い出」・・・でした
お後が宜しいようで
不登校について 児童相談所編
小学校6年から中学1年まで通っていた児童相談所の事について書きたいと思います
こちらで書いた通り、5年生の時の校長先生に誘われて、児童相談所という中間教室なるところへ通い始めます。
最初の頃は、生徒が俺1人だったので、先生達と卓球をやったり
1日2時間程度勉強をしたりして過ごしました。
1、2週間経った頃だったろうか
新しい生徒が入ってきました
彼は2つ年上のK君
彼は、勉強もそこそこ出来て
その上、絵までうまいイケメンでした
彼とは意気投合し、卓球をやったり(それしかなかった)
一緒に勉強したりしました
しばらくすると、生徒も増えてきて
同じく2つ年上のM君、3つ年上のI君が入ってきました
彼らは同じ時期に入って来たからか、仲がよかった覚えがあります
その当時流行っていた遊戯王カード遊☆戯☆王 - Wikipedia
を2人で対戦していたのを最初に見た記憶があります
そして、俺も弟や友達と遊戯王カードでよく遊んでいたので、自然と仲間になれました
遊戯王カードをきっかけに、K君、M君、I君、俺の4人はよく遊ぶようになりました
当時俺は小学6年生、K君M君は中学2年生、I君だけ中学3年生でした
1年後、受験生だったI君だけ定時制高校へ行き、K君M君も中学へ戻って行きました
そして、そんなみんなに影響を受け、俺も中学へと入学するのでした
昨日も書いた通り、中学1年は1学期だけ登校し、夏休み明けからまた不登校に戻るのでした
そんな時、M君も結局相談所へ戻っているという話が来ました
それだったらと、相談所へ戻ろうということでまた、相談所生活が始まります
戻ったとき、K君も実は登校していないと聞いたので、M君と2人でK君も相談所へ来るように誘いました
今度は3人で仲良く相談所生活を楽しみました
あの頃は、自転車で走り回っていろんな所へ行った覚えがあります
よく、橋の下へ潜り込んで秘密基地を作って遊んでました
懐かし〜
当時中学1年生、K君M君は中学3年生になっていました
2人とも受験生だったので、勉強を頑張っていたと思います
K君は、地元から車で1時間ほど離れた普通科高校
M君は、I君が入学した定時制高校へ入って行きました
みんなが相談所を卒業していったので、俺も頑張ろうと中学へ戻って行きました
そして、中学2年
相談所から相談室生活へとシフトしていくのであった
つづく
不登校について
夜中に突然書きたくなってしまったので、小学校から中学校まで不登校だった経験を少し書きたいと思います
まだブログの書き方に慣れていないので読み辛いかと思いますが、気が向いたら読んでください。
発症という言い方はおかしいとは思いますが、不登校になったきっかけはおそらく、小学2、3年生の頃だったと思います。
当時、身体が弱かったのか肺炎にかかってしまい、2週間ほど入院をするという経験を7歳の頃にしました
家族や学校から離れて、2週間病院で過ごすという経験は、当時の俺には新鮮でした。
退院してからも、学校を早退して病院へ検査行くような日々が続き、気がつくと学校を休むようになりました。
とくに誰かと気まずくなったとか、イジメられたとかではなく、長く休んだためみんなに付いて行けなかったのが原因かなぁと、今は思います。
明確な理由がないと言えばなかったのがややこしいところでした
小学校時代は、担任が毎晩家に来て少し話をしてくれたり、学年が上がって先生が変わると、今度は夜学校へ行くようになりました。
2年生までの先生は家庭訪問、3、4年生の先生は夜学校へ行って話す
みたいな感じでした
5、6年生の時の担任が厳しい先生で、かなり怖かった覚えがあります 笑
それでも少しづつ、学校へ行くようにはしていたんですが、6年生になったある日、5年生の時の校長先生が退任された後、中間教室なるものを開いたと家に連絡がありました
当時の名称は「児童相談所」
6年生でそこの第1号児童になりました
少し広めの部屋に、大きな卓球台がドンと置いてあったのが印象的でした
相談所の先生は、元校長の先生を含め3人でした
よく先生たちと卓球をしていたのがいい想い出です
相談所の話はまた別で書こうかな
中学に上がった頃、1学期だけはなんとか普通に過ごすまでに成長していました
おそらく、相談所での勉強や経験の成果だと思ってます
ですが、夏休みが終わる頃、また学校へ行きづらくなってしまい、相談所へ後戻り
たしか、半年間くらいは相談所暮らしでした
中学2年生になると、学校にも相談室なるものがあって、教室へ行けない生徒はそこで過ごしたり、行きづらい生徒の相談に乗ってくれる先生がいる教室がありました。
当時、赴任したばかりの若い先生で、だいぶ弱々しかった印象がありました
その相談室で、1年教室へ行けない生徒達と過ごすことになります
ここまでかなりかいつまんで書いてしまったので、タイトルを分けてまた書きたいと思います。
おわり
もうすぐハロウィン
今週のお題「ハロウィン」
ということでお題の記事を書いてみます
ハロウィン、またはハロウィーンとは(Halloween)毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
ウィキペディアより
もうみんな知ってますね
ご存知ハロウィンです
最近の日本では一種のコスプレパーティ化としてますよね
楽しければいいと思います
それで経済効果も上がるのなら尚更w
僕は参加した事はないですけど
コスプレって普段とは違う自分に変身できるから
自分の中の殻を破るにはもってこいだと思うし、変身をする事で逆に殻を身に纏うみたいな
鎧を着たような安心感というような
少し強く見せられる感じというか(語彙
うまく説明できないけどちょっと強くなれるようなイメージはあります
もし、ハロウィンに参加するとしたら、自分ならなんのキャラがいいかな〜
マリオとか??
あ!昔マリオに出てくる敵キャラのヘイホーみたいだって言われた事があるからそれがいいかも!w